yutaka027’s diary

【閲覧注意】詩的表現の多々

空の色

その頃、死にたいと思うようになっていた。

 

なにもすることもなく、あてもなく、ただ日々を潰すように生きているだけだった。
無。結局いつも音もなくすぐそばに現れるのは永遠とも言える無力感だった。しかしどんなに無力でも生きなきゃいけない、と生まれた瞬間から何者からかに決められてしまったのだ。なにがなんでも生きなきゃいけない。

 

死ぬことに苦痛がなかったとするならば生きることに満足がいかない人びとは簡単な理由でみんな死んでしまい、世界人口が下がってしまうだろう。そもそもなぜ人間が地球を制しているのかも謎なのだがそこまで掘り下げたら本題とそれてしまう。

 

そんなことを力なくぼうっと考えながらまだ日差しの鋭さが残るよく晴れた秋空の下、あてもなく水色の自転車を漕ぎ回す。

この自転車は小学生三年の頃、母が近くのスーパーに行くときに乗っていたもので、今はなぜかわたしのものになっている。ところどころ水色の塗料は剥がれてきて、十数年の歳月の中で刻み込まれた無数の傷。そこにはどの時代も経験してきた老人の脳のシワみたいに人生のノウハウとか、知恵袋とかそんなものがたくさん詰まっていそうな気がした。そんな古ぼけた自転車だけど、手荒なわたしが乗っているのにも関わらず数回壊れただけで持ちがいいのだ。

 

このごろは集中力がこれでもかというほどになくなってしまった。図書館で本を読んでいても、体の向きを何回も変えながら他の人よりも落ち着かない様子で、以前は集中していてお腹が空いてることも忘れるほどだったのに、今やすぐになる腹の音で集中が切れてしまう。それでいよいよ活字にも集中できなくなってきたのだ。
どこにいても集中は続いていたのに今は集中できる場所はどこだろう、と探してその判断力もすっかり衰えてしまい、図書館を出て結局あてもなくふらふらと自転車でサイクリングし(サイクリングとか散歩やドライブって言葉は便利だ。これだけで全うに時間を使っている気分になる。)、にぎやかな日曜の公園に出た。


明らかに普段より格段と盛り上がっているわけはただ子供とお父さんがキャッチボールしていたり、女の子たちが鳩に向かってシャボン玉を吹いてきゃあきゃあしていたり、トイプードルの軍団が一気にドッグランに入っていくからじゃない。小さな地元の音楽フェスをやっていたのだ。
フェスを出来るほどの広大な公園で、そのフェスを取り囲むように屋台が並びビールやケバブ、焼きそばが売られていたおかげで人の集まりそうにないグループの演奏も熱気とノリでより一層盛り上がりを見せていた。


サングラスをかけた片手にビールを持った親父はイカ焼きの表面みたいに日に焼けた肌が横に伸び、黄色い歯を見せながら陽気に笑っていた。横の子供はポップコーンを口に入れながら退屈そうに近くのアイス売り場を見ていた。
全く知らない音楽が流れている中を自転車でさらさら通り抜け、適当な方角に走った。


ついたところは大学近くの公園だった。さっきよりもいっきに規模の小さいこじんまりとした公園。生活の音が微かにこだまする住宅街の中の公園。屋根のついた休憩場のベンチにはホームレスが寝転がっていた。いつも公園のいちばん端の目立たないベンチに座る。

 

 

なんでここにいるのだろう

と青い空を見上げながら。